文化祭という言葉を聞くと、毎年思い出すことがあります。▼学校というところは、子どもたちの全面的発達を願って、様々な活動を保護者、教職員、地域の人々と共に『いとなむ』ところだと思っています。しかし、昨今では、学校に求められる領域や内容が多すぎ、教職員も多忙化を極め、『文化的』な内容はどんどん時数が削減されているようです。▼私が組合に入った頃の小学校には、まだ「文化祭」が残っていました。私は、2年の担任をし、取り組んだ劇をビデオに残し、希望者にダビングして残しました。T君は、勉強こそ苦手でしたが、ユニークな彼は、学級にとって、なくてはならない存在で、劇にも生き生きと取り組んでいました。とても楽しい充実した1年でした。▼その4年後、(私は別の学校で勤めていました)突然、T君のお父さんから電話がありました。「昨日、Tが亡くなりました。ベッドで、何回も何回も、2年生の時の劇のビデオを観ていました。よほど楽しかったのでしょう。遅くなりましたがお知らせします」と。▼あのビデオテープが11歳で発症した白血病と闘うT君の励みになっていようとは思いもしませんでした。「文化祭」の季節は、このことを思い出し、子どもたちの全面的な発達を支え、応援する存在であり続けたいと思い直す時です。